日本は時代遅れ?「公平」「公正」「平等」はどう違うのか?

天秤の画像

先日、このようなツイートをしました。

140字では全てを説明しきれなかったので、こちらで改めて解説していきます。

「平等」と「公平」「公正」の違い

https://togetter.com/li/934412より

(左から「平等」「公平」「現実」を表している)

平等、とは「等しく平ら」であること。つまり、「差がない」状態のことなんです。

ところが、この「差がない」というのは、

  • 扱いが同じ
  • 扱いは違うが、結果が同じ

という2つの解釈ができます。

日本語では「機会の平等」と「結果の平等」という言葉で表されていますが、この記事では違いをわかりやすくするために、前者を「平等」、後者を「公平(公正もほとんど同じ意味)」として話を進めます。

海外でもこれと似たニュアンスで捉えられています。

これまでの「平等」(日本での平等の扱い)

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これまでいわれてきた平等は、差をなくすことを意味していました。

例えば、武士であるとか貴族であるとか、そういった身分の違いによる特権を排除していったり、納税額に関らず投票数は1人1票にしたり。とにかく差をなくすことを考えてきました。

全員を同じ扱いにする、ということで、あまり深く考えなくとも実行できました。

ところが、今の世の中にある問題(例えば男女差別、障害者差別など)は、その考えでは解決しません。

全員を同じ扱いにしても(同じ高さの台を与えても)、結果的に違いが生じていれば(野球の試合を見えている人と見えない人がいる)それは公平じゃないだろう、ということ。

そうではなく、結果的に全員が生きやすくなること(全員が野球の試合を見られる)を目指すべきだという考え方が主流になってきているのです。

女性や障害者などの社会的弱者を救済するための措置が増えてきているのはそのためです。

世界は「平等」から「公平」の時代へ

考える人の銅像

これまで説明してきたように、日本ではあまりなじみがありませんが、世界的には「平等」から「公平」へと考え方が変わってきています。

違いを「なくす」から、あえて妥当な違いを「つくる」考え方になってきている、ということです。

救済の対象外の人からすれば「なんであいつらばっかり!」という気持ちになるのも理解できます。

ただ、これは非常に哲学的で難しい問題。感情ではなく、論理で、どこまでが妥当でどこからがやりすぎなのかを考え、話し合う必要があります。